春の歳時記の中に、早春よりもう少し早い時期を詠む
春浅し (はるあさし) があります。
浅き春、浅春(せんしゅん)とも
梅のつぼみが膨らんで、ひとつ、ふたつ、と花が咲いてくるころ、
早春よりもっと短い期間を詠むようです。
白き皿に絵具を溶けば春浅し 夏目漱石の句です
立春をすぎて、まだまだ冷たい風が吹いて寒さを感じるけれど、何か、少し春を感じる頃なのでしょう。
“マスク”は、そもそも冬の季語でした。
風邪を引きやすい冬の季節に使うマスクでしが、花粉症なるものが現れて、冬に限らず春や秋にもマスクは使うようになりました。
そこで、俳句の世界では、冬のマスクとは、区別して、“花粉マスク”のように用途別マスクを使うことになりました。
ちなみに、“花粉マスク”は、春の季語になりました。
最近のコロナ禍の時は、年中 マスク を使ってましたが、季語には、なりませんね、コロナマスクは😷
季語“マスク”を使った俳句
マスクして我を見る目の遠くより
秋の季語 ”秋惜しむ”
秋惜しむ は、あきをしむ と詠みます。
過ぎていく秋を惜しむ心情をいう言葉です。
春惜しむという季語もあるようですので、秋と春は、過ごしやすく、これからやって来る厳しい冬や夏を思い、今を惜しむという思いなのでしょう。
秋を惜しむ句として
秋をしむ
戸に訪づるる狸かな 蕪村
晩秋の静けさが伺えます。